※仙蔵が仙子です



宵闇が浸している部屋の中、そこだけ空気は微かに震えている。
薄く細い三日月の光だけが薄く闇に皹を入れて、美しい人をぼんやりと白く浮き上がらせていた。
結び目がぐずぐずになった女物の着物を中途半端に纏わりつかせたまま、仙蔵は自分の膝の上で不規則に息をしていた。紅の引かれた唇が、暗闇の中でも鮮烈に焼き付いた。
ぐちゅ、と水音が小さな水槽のような部屋の中に反響する。
「あぁ、ああぁ」
「仙蔵、」
耳元で囁かれたその音にまた感応して、その人はか細い声を上げて、快楽に耐えるように体を捩った。
白い頬が血が滲んだように赤く染まっていく。長い睫毛に飾られた瞳は恍惚に細められて、黒曜石の艶めきがじわりと水を含んでいくのが分かった。
その表情をもっと見たくて腰を掴むと、細く長い手は反射のように自分の肩を掴んだ。形の良い爪が自分の肌に食い込んでいったけれども、それは甘い痛みだった。
「ああぁ、もんじ、やあ、あぁ」
小さな喘ぎが耳を刺激して、自分の在処を分からなくさせる。何もかもを奪って、自分だけのものにしたかった。その吐息の一つだって逃したくなかった。
「仙蔵、口開けろ」
とろりとした目で自分を見つめたまま、仙蔵がふっくらと濡れた赤い唇を小さく開いていく。快楽の残骸のように喘ぎを漏らすその唇を抉じ開けるようにして、文次郎は小さな口に指を入り込ませた。
「噛むなよ」
自分の一言に、生理的な抵抗の力が小さな歯から抜けた。指を伝った温い唾液を掬い取りながら下顎を掴んで、文次郎は紅の引かれた唇の中に舌を差し込んだ。
いつからだろうか。
彼が女に化けるたびに、ぞわりと感情が波立つのを知ったのは。
元々整った面差しをしたその人は、一捌けの白粉と紅で誰もが息を呑むほど美しく化けた。小柄で細身の体は、美しい着物を纏った途端に娘へとなりきった。
その人が本当に自分の知る男であるのか、もしくは彼が本当に男であったのか、六年も付き合い続けている自分をも混乱させるほど。
忍務で連れ立って外を歩けば、多くの人間がその美しさに仙蔵を振り向いた。
沢山の人間が女に化けた仙蔵に籠絡された。
誰も彼もに美しい美しいと褒めそやされた彼は、次第にその美しい瞳に色を含むことを覚えていった。
そうしてあるとき、仙蔵が大きな瞳を細めて自分を見つめ、忍務で他の男に向けるように淫靡な微笑を浮かべて、女の音で自分の名前を呼んだとき。
心の奥の何かがふつふつと音を立てて沸き始めたのを、文次郎は知ったのだ。


舌を絡めて、歯列をなぞって、呼吸まで奪って、散々に口を犯した舌をようやく抜くと、仙蔵はどさりと頽れるようにして自分の肩に傾れ込んだ。
どくどくと速い速度で刻み付ける彼の鼓動の音が、薄い胸を通して自分にまで伝わってくる。
「もんじ、ろ」
完全に息が上がってしまった声が、上擦りながら自分の名を呼ぶ。やりすぎたのか、そう思って労るように肩に手を乗せようとした瞬間、密な睫毛の下からこちらを見つめる眼差しと目が合った。
大きな瞳はどろりと甘い色に蕩けていた。
薄く水の張ったその瞳の端からなにかじわりと温いものが溶け出したかと思うと、それはつうと白い頬を伝っていく。
自分を見つめて細められるその瞳は、まるで男を籠絡させるときの仙蔵のそれだった。
「っ・・・!」
瞬間的に頭に熱が上がった。
そのまま力の加減もせずに、下から思いきり幾度も揺さぶる。
思いがけぬことに仙蔵が大きく息を呑んで、けれども吐き出された吐息は喘ぎにしかならなかった。
「あぁあ、や、やだあ、ああぁ」
男である彼を抱くときのように優しくしたい。傷つけることなどせずに、大切に大切に抱いてやりたい。
いつだってそう思うのに、その瞳が淫靡な輝きを灯すたび、鮮やかな紅に彩られた唇が弧を描くたび、理性を感情が越えていった。
奥底からふつふつと沸き上がる感情を知っている。
その瞳にひどく惹かれながら、どうしようもない強い衝動に飲み込まれる。
嫉妬、怒り、欲望。
たくさんのものが混沌として、自分の口から言葉を走らせた。
「同じなんだろ・・・」
心の中の言葉が声になって外に押し出される。それと同時に、彼の身体を突き落とすように深くまで揺さぶった。
「ああぁ、っ・・・!」
細い身体は自分の腕の中で震えたかと思うと、ぎゅうと自分にしがみついて、声にならない悲鳴を上げて崩れ落ちた。
手に絡んだ白い熱と呼応するように、どくどくと速い速度で刻み付ける彼の鼓動の音が薄い胸を通して自分にまで伝わってくる。
文次郎はそっと静かに、溜め息をついた。
他の男に向けるような眼差しが嫌いだった。同じような瞳の色で自分を見る彼がたまらなく嫌だった。所詮他の男と変わらないのだと、そう思い知らされるのが耐えられなかった。
その眼差しも、声も、温度も、膚も、温度も、すべて閉じ込めてしまいたい。誰にも見せないように、すべてを腕の中で絡げてしまいたい。
できることなら孕ませて、すべてを奪ってしまいたいとさえ思うのに。
冷えていく指に絡み付いた白い熱と、自分の中で解放されずに渦巻く熱を思って、文次郎は呟いた。
「一緒なんだろ。あいつらも、俺も」
ともすれば掻き消されてしまうほど小さな音に、けれども力なく自分に寄り掛かった仙蔵は抗議をするように、ぎゅうと自分の襟を掴んだ。
「ばかか、」
その声はまだ息が切れている。顔を伏せたままで、けれども彼が小さく自分を罵倒する声がはっきりと聞こえた。
「何も、分かってない、くせに」
快楽の余韻に声を途切れさせて肩で息をしながら、仙蔵はゆっくりとその眼差しを持ち上げた。
その瞳にはうっすらと水が張っていて、今にも零れ落ちそうになっている。熱が上がった頬を真っ赤に染めたまま、仙蔵はこちらに睥睨の視線を向けた。 
「お前、ややが欲しいか」
問われた意味が分からずに、文次郎は返す言葉に詰まった。
それは彼の嫌いな仮定だった。決して現実にならない喩えを、彼はひどく厭っていたはずなのに。
「欲しいか」
「・・・出来ないだろう」
当然の言葉を返したはずなのに、それを聞いて仙蔵は何故だか自分の答えを鼻で笑った。声を上げて掠れた喉から僅かに声を零しながら、その人はぽつりと、けれども不思議とはっきりとした声で言った。

「出来るよ」


「・・・何を、言って」
「お前の子供なら、産めるんだよ」
その言葉があまりにも揺らぐことなく正直だったから、自分は何一つ返す言葉を持たなかった。
驚いたまま沈黙した自分をちらりと見遣ると、その人は熱の滲んだ睥睨の視線をふいと逸らしてつまらない、と呟いた。ぐちゃぐちゃに乱れた着物も汗ばんだ体もそのままに、仙蔵はまたどさりと自分の肩にも凭れた。
自分の胸によりかかる熱がひどく熱い。だからだろうか、自分の頬にまでかああと熱が上がってくるのが分かった。
肩にかかる軽い重みと発散しきらない汗を感じながら、おそるおそるの仕草で手を伸ばして、一瞬迷った挙げ句にその肩に手を置くのが精一杯だった。

やっぱり何も分かってない。そう言いたげな女の眼差しで、仙蔵がちらりと不満げにこちらを一瞥するのが分かった。



かみ合わないキスをしよう
6/1/2010


6い祭様へ提出させていただきました。
ハッピー文仙!