この日記のホテルの話の一部
※文次郎に嫁がいます
※現パロ


情事の熱がこもったままの体が熱かった。
生ぬるいベッドの上で気怠い体を横たえながら白の恍惚に浸っていると、後ろからそっと自分を抱きすくめる手があった。
その手はまるで労るように自分に触れる。汗に濡れた前髪を指に絡めて、そのままそっと掻き撫でた。
ぼんやりと目の前に翳された手を見つめる。ああ、普通の男の手だと思った。
仕事柄、爪の先まで気を遣う自分の手と違って、彼のそれは節もささくれも目立つごつごつとした無骨な手だ。
それでも私はその手がとても好きだった。
いつでも労るように自分に触れる優しい手。自分の髪を撫ぜる温かな手。激しいキスの時に顎を掴む手。妻の乳房を掴む夫の手。子供の手を引く父親の手。
そう思うと、可笑しくて仕方がなかった。
ごつごつとした手に指を滑らせ、そのまま一本一本の指を割って蛇のように手を絡めていく。
「どうかしましたか?」
後ろから優しい声が聞こえたのを看過して、自分の指を絡めたその手を見つめた。
「立花さん?」
その手を繋いだままそっと後ろを振り向いて、不思議そうな顔をしたままの彼に微笑んでみせた。
「私、好きですよ。貴方の手」
指と指が絡まった左手をゆっくりと目の前に翳して目を凝らす。
最初にホテルのバーで会ったとき、彼の薬指にはプラチナの指輪が嵌っていた。
暗いバーの光を受けてなお鮮烈に光る白金を、横目だけで一瞥したのを覚えている。
けれども今、彼の薬指には何もない。
最初に会った夜以来、彼は私と会う時にはいつでも指輪を外していた。
それが私の目に入らないように。私のことを傷つけないように。まるでそんなもの、最初からなかったかのように。
なんて優しく、誠実な人なのだろう。なんて鈍感で、愚かな人なのだろう。
気がついていないのだろう。その薬指に、赤い指輪の後が残っていることにまでは。それを自分が見逃すわけがないということが。
きっと彼はこのホテルを出たら、すぐにその指にまた指輪を嵌める。
まるで何事もなかったかのように家へと帰り、彼を起きて待っている妻に迎えられ、もう寝ている子供の額にキスをし、彼はあっという間にいい夫に、いい父親に戻るのだろう。
その心を罪悪感にひどく痛めながらも、自分を待っていてくれた妻に優しく微笑みかけるのだろう。
外で男を抱いてきたことも、先程までその手で自分の髪を撫でていたこともひた隠しにして。
そんなにも素直であろうとする。皆を裏切りながらも皆に誠実であろうとする。
だから自分のような人間につけこまれるのだというのに。
ああ、可愛いなあ。
ふふ、と唇の端から零した笑みを彼がどう思ったかは分からない。
少しだけ困惑したような表情を浮かべた彼に背を向けて、笑みを浮かべたままその薬指の赤い跡をそっとなぞった。

好きだよ。
貴方の手が好きだ。
その無骨な指も、節のある甲も、温かな温度も。

だからこの赤い傷を、決してこのままにはしてやらない。


誓いの言葉
2010/07/25