※現ぱろ
※一言で言うなら暗!!!黒!!!です
※仙→文ののち、文→仙風味
※どんな話でもおけまだぜな方どうぞ






「終わりにしようか、文次郎」

まるで天気の話でもするような、明日の予定を決めるような、そんな何気ない口調で彼はそう、言った。
当たり前のことが当たり前の様に終わっていく。
そう言いたげなほどに淡々とした口調だったから、文次郎は一瞬だけ息を止めて、それでも驚くことは出来なかった。
日が落ちてきた海岸にはゆるやかに風が吹きはじめて、夏の香りをゆっくりと冷やしていった。
右側だけ濡れた白いシャツが冷たい。指先を滑る透明な雫を追い掛けて、それは砂の上に並べられた白い貝殻へとぽたりと落ちた。
濡れたかったわけではないのに、波打ち際に打ち上げられた貝殻を拾おうとした自分を、後ろからとんと仙蔵が押したのだ。
バランスを崩した自分がばしゃりと海の水を跳ね上げるのを見て、彼はまるで子供の様に声を上げて笑っていた。
一瞬怒ろうかと迷って、口を開いて、それでも諦めたように溜め息をついた自分を見て、彼は一層に笑みを深めた。
そうして悪かったな、とまったく悪びれぬ口調で言いながら、手の中に握っていた綺麗な白い貝殻を自分に渡したのだ。
つい先程までそうやって二人で笑い合っていた。この数年間と同じように。
ずっと一緒に時を過ごしてきた。自分のそばにはいつでも彼がいて、彼のそばには自分がいた。
一緒に学校に行って、同じ家で暮らして。朝に弱い仙蔵を遅刻しないように起こして、夜には交代で食事を作って、休日には二人で少し遠くまで出かけて。
時々は喧嘩もした。家出をするほどひどい喧嘩もしたことだってある。それでも最後には結局いつだって元通りに戻ってきた。
仲直りをした日には、いつもより少し手のこんだ料理を作って、いつもより少し長めの映画を一緒に見て、そうして同じベッドで一緒に眠った。
そうやって二人で一緒に生きてきた。
それはささやかで、小さな木漏れ日のように暖かい、まるでずっと続いていくようにも見えた日常だった。
緩やかに流れていく幸せの中にたゆたいながら、それでも自分は知っていた。最初に彼の手を取ったあの日からずっと気がついていた。
遠くない未来に、いつかこんな日が来るだろうと。

波間に黄色のボールを点々と揺れている。子供達がきゃあきゃあと声を上げてはしゃぐ砂浜を、色を濃くした夕陽が照らしはじめている。
波に反射してきらめく光が眩しくて、一度眼差しを伏せて、そうしてようやく隣に座る彼へと目を遣ることが出来た。
夕陽に染まる砂浜に、夕方の生ぬるい風が流れていく。
柔らかなオレンジ色に染まった細い髪が風を孕んで舞い上がる。彼はふわりと浮いた髪をそっと左手で押さえながら、けれどもこちらを見ようとはしなかった。
真っ直ぐに眼差しを遠くへと向けたまま、彼はもう一度そっと唇を開いた。
「もうどこにも行けないよ」
小さな、それでもはっきりとした声だった。波の音に掻き消されそうなその音に耳を澄まして、けれどもそこには絶望も悲嘆も見ることができない。
「お前が望むものを、俺は何もあげられない」
ああ、そうか。彼も知っていたのだ。
ずっと昔から、もしかしたら出会ったその日から、自分たちがこうして人生の数年を一緒に生きることを、手を取り合って生きていくことを、そしてその関係に終わりがくるであろうことを。
仙蔵、それでも俺はこの手を離したくないよ。一緒に生きていきたいよ。手を繋いでこの道を歩いていきたいんだよ。どんなに絶望の果てのように思えても、そこにはいつか光が差し込むかもしれないだろ。
なあ、だから、仙蔵。
俺はまだお前との未来を諦めたくないよ。
それでもその思いを言葉にすることは出来なかった。叫び出したい想いを裏切って、鈍くなる舌を動かして静かに呟いた。
「・・・ああ、俺もだ」
横でさらりと黒い髪が揺れる。黒い髪がオレンジの光を孕んで不思議な色に染まっていく。もうその髪に触れることはないのだろう。
「終わりにしよう」
夕陽の溶けた波打ち際で子供達がはしゃぐ声が響いていた。
仙蔵は何も言わなかった。その子供達を見つめたまま、こちらを見ることもしなかった。
それでもただそっと瞳を落として、仙蔵は静かに静かに頷いた。

**************


「おとうさん、それ、」
「どれだ?」
「それ」
書類で散らかる自分の机の上、小さな箱の中に仕舞われた白い貝殻を指差して、その子は自分の腕の中から乗り出した。
小さな手がそっとそれを掴んで、不思議そうに手の中で転がす。硝子玉のような瞳で白い貝殻を見つめて、そうしてその子は満面の笑みでこちらを向いた。
「きれいだねえ」
「・・・ああ、そうだろ」
「おとうさんの?」
「もらったんだよ。おとうさんが、ずっと昔に」
好きだった人から。その言葉を飲み込んで、文次郎はその子の手の中の貝殻を見つめた。
ずっと昔の記憶は今でも色鮮やかに、音も色も当時のままに自分を包み込む。
深い海の色も、夕陽を照り返して光る波も、影になった横顔も、背けられた眼差しも。
本当は気が付いていた。
あの時、仙蔵は泣いていた。
何も感情を映していないような表情をしたまま、静かに眼差しを伏せて、自分から顔を背けて。静かに息を吐き出す音が聞こえて彼を見遣ったその時、伏せられた瞳から透明な雫が落ちるのが見えた。
息が止まるような気がした。
目を合わせることも、声をかけることもできなかった。反射的に伸ばしてしまった手は無力でしかなかった。手は虚しく空を彷徨って、ゆるゆるとまた戻された。
彼が泣いたのを見たのは、あれが最初で最後だった。
「おとうさん」
「ん?」
「これ、もらっていい?」
子供が目を輝かせながら、手のひらに乗せた貝殻を握りしめてこちらを見つめる。
「・・・ごめんな、これはやれないんだ」
そっとその子の手から貝殻を拾い上げる。不思議そうな、どこか泣き出しそうな顔をした子供をあやすようにとんとんと揺らして、文次郎は微笑んだ。
「散歩に行こうか、天気がいいから」
ころりと貝殻のことを忘れたかのように、その子はぱあっと満面の笑みを浮かべた。
「おとうさん、おかあさんにも会いにいきたい」
「そうだな、久しぶりに会いにいこうか。お花買って、持って行ってあげよう」
「うん!」
小さな手のひらから返された白い貝殻を握りしめたまま、文次郎は子供をそっと抱きしめた。
仙蔵。お前がこの未来を予知して、どんなに苦しんでいたのか。あの時分かってやることが出来たら、何かが違ったのだろうか。
仙蔵。
仙蔵。


仙蔵。



09/23/2010
君によせて


普通の幸せをどこかで求めてしまっていた文次郎と、それを察していながらぎりぎりまで一緒にいようとした仙蔵