※文仙・竹くくをベースに竹谷と仙蔵がしゃべってます


「何したんすか」


その人は息を切らした自分の声に、ゆっくりと後ろを振り向いた。
しなやかな黒い髪がさらりと揺れる。それは強いてゆっくりとした、確信的と言えるほどに緩慢な仕草だった。
彼は自分に視線を合わせて、芝居めいた笑みをつくってみせた。
「何の話だ?」
腰に届きそうなほどに長く伸ばされた美しい黒髪は、どこか兵助のものを思い出させる。
それがまたちりちりとした苛立ちとなって、胸に積もっていった。
「兵助に、何したんですか」
自分の言った名前に、立花先輩は軽く首を傾いだ。僅か何かを逡巡したあと、彼はああ、と声をあげた。
「久々知のことか」
「心当たりがあるでしょう」
自分の声にははっきりと苛立ちが滲んでいる。
それでもその人は気に留める様子もない。薄く笑う彼は、むしろ機嫌が良さそうにさえ俺には映った。
「ふふ、なあに。少しからかっただけだ」
「そうは見えませんでしたけど」
顔を隠すようにして帰ってきた兵助の顔が蘇ってきた。
その手を取って、こちらを見ようとしない兵助を無理矢理に問いただして、それでも彼は顔を真っ赤にしてぼろぼろ涙を零したまま、何も言おうとはしなかった。
それでもしつこく聞き続けた自分に、ただ一言、消え入りそうな声で兵助は言った。
立花先輩が、と。
爆発しそうになる感情を奥歯で噛み締める。握りしめた拳が痛いほどだった。
「可愛いものだな」
「・・・」
「あんなことで泣く久々知も、かっとなって私のところに殴り込んでくるお前も」
「・・・何を、兵助に」
「気になるか?」
「答えてください」
聡明な輝きをたたえた瞳が自分を向いて、すうと細められる。その人は面白そうに唇にそっと指をやって、一歩、自分へと近づいた。
まるで挑発するかのように。
「好きなのか、久々知が」
かあっと一瞬のうちに顔に熱が上がった。
心臓が早鐘を打って、目の前がくらりと歪んだ。自分の中で感情が沸々と競り上がってくるのが分かった。
「ふふ、図星」
その人はまた一歩自分に近づいて、優美な仕草で首を傾ぐ。
自分の耳にそっと唇を寄せられる。
揶揄するような声が、聴こえた。
「まだまだ子供だな」

ぞわりと毛が逆立った。
視界に音を立てて黒い影が落ちてくる。その影はその人と、自分を残して、世界を消した。
握りしめた拳に激昂が走った。
気が付いたときには床を思いきり蹴っていた。沸騰した激情は声となって爆発するように口から溢れた。
「立花アァ!!!」
六年で一番優秀なこの人と張り合えると思っていた訳ではない。
先輩に挑むことが許されないことを知らなかった訳ではない。
ただ、気が付いたときには彼を睨み据えて、その美しい顔をぐちゃぐちゃに殴りつけることだけを考えていた。
彼の顔が近くなる。その唇がまるで面白いものを見ているように口角を上げた瞬間、完全に冷静な思考は停止した。
策も何も無く思いきりその拳を固めて、狙いを定めることもしないまま力に任せてそれを振るう。
けれども、すべての力を込めて打った拳がその人を打つことはなかった。
自分の拳を容易くかわしたかと思った瞬間、その人は目の前から一瞬のうちに消え失せた。
行き場を失った自分の拳を引いて周りを見渡そうとする。けれどもそれよりも寸分早く、自分の足に何かが引っかかるのが分かった。
頭では分かっているのに、激情に駆られた体は冷静に動かない。
体勢を立て直すことも出来なかった。
一方向に向けていた意識が他に回らずに、竹谷はそのまま思いきり廊下に顔を打ち付けた。
ダァンと大きな音が耳に響いて、瞬間、目の前が真っ暗になる。
起き上がるよりも早く彼の冷静な声が、打ち込まれるようにして耳に届いた。
「感情で理性を失うか」
「っ・・・!」
「見定めることもせずに力を振るうか」
溜め息まじりの声が聞こえる。
床に伏せたまま、必死に目を開いて肩越しに振り向く。
平衡感覚をいくらか失って傾く視界の先、その男は相も変わらず美しい笑みを浮かべていた。
「それで久々知を守れるのか?」
その言葉が自分の中の激昂をもう一度走らせた。
視界が揺れるのにも構わず、ほとんど反射のように床から起き上がる。
何を考えるよりも早かった。
ふらつく頭のままで体を起こして、もう一度床を蹴った。
勝機など無い。愚かしいことは分かっている。沸騰した感情だけが自分を走らせていた。
その顔に狙いを定めて、ぎゅうと目を細めてその人を睨みつけて、薄い笑みを浮かべたその人を拳の先に定めた瞬間、


誰かが彼の前にざっと歩み出た。
二つの目が何も恐れること無く自分に開かれる。ぎらりと黒い瞳が光って、ぞわりと毛が逆立って、その先の自分をきつく睨み据える。
それが誰だかを知るよりもずっと早く、背中にぞっと冷たいものが走った。
思わず体が竦み、繰り出した拳が勢いを失っていく。
それはまさに本能だった。
圧倒的な力を前にして麻痺したように動けなくなるような、弱者の感覚だった。
逆らってはならない、自分の一番奥の感情がそう叫んでいた。

ダンッ。
激しい衝突音と同時に、骨まで震わせるようなひどい衝撃が拳に走った。
状況を理解するよりも早く自分の身体はぐらりと揺れる。耐えきれなかった衝突に吹き飛ばされて、竹谷は思いきり床に尻餅をついた。
自分の拳を受け止めたその人が誰なのか、見開いた目の先にいるその人が誰なのか、理解するまでに少しばかり時間が掛かった。
がっしりとした体躯に、自分を跳ね飛ばした拳、そして右の手にある算盤。
それが立花先輩の同室である、六年生の潮江先輩であることに、そこでようやく自分は気がついた。
喉が音を立てて鳴っているのに呼吸が苦しい。
まばたきをも忘れたまま、呆けたように床についた自分の手を見つめることしかできなかった。
自分の繰り出した拳は、彼の手によっていとも容易く止められて吹き飛ばされたのだ。
は、と息を切らしたまま、おそるおそる目を上げる。
潮江先輩は自分を一瞥すると、何も言わずにそのまま立花先輩を振り向いた。
「お前はなァにをやってんだ。委員長会議だって言っといただろうが」
「ああ、そうだったか?」
悪びれる様子も無くカラカラと笑う立花先輩に、潮江先輩は長い溜め息をついた。
「漸く見つけたと思ったらこれだ。いい加減にしろよ、仙蔵」
「後輩と手合わせをするのも上級生の役割だろう」
「ばかたれ」
彼は呆れたような表情をして、立花先輩の額を諌めるようにぱしりと軽く叩いた。
「後輩をからかうんじゃねえ」
驚いたことに、立花先輩はその行為に怒ることをしなかった。誰よりも優秀で完璧である六年生の天才は、たただむうっと子供の様な仕草で唇を尖らせて、自分を庇い出た人を睨んだ。
「だいたいお前がしゃしゃり出るからだ」
「人のせいにすんじゃねえ」
「ふん、お前が出なくたってどうせ避けていたぞ」
はいはい、と彼の抗議を口先だけで聞き流しながら、また潮江先輩は大きな溜め息をつく。諦めたように立花先輩に背を向けると、潮江先輩は自分の方へと無造作に手を伸ばした。
反射的に手を伸ばした後で、それが自分を助け起こすためのものであることに、今更ながら気が付いた。
「あ、の」
「悪かったな竹谷」
自分を簡単に突き飛ばした手が、ぐいっと自分を引き上げる。その手は同じものだとは思えないほど、大きく、優しげな温度をしていた。
自分を引き上げてから、潮江先輩は手をぱんぱんと払った。
「この場は俺に免じて許してやってくれ。こいつはあとで俺が叱っておくから」
お前に叱られる理由なんてないと叫ぶ後ろから声が聞こえる。それでもかけられる罵声を完全に無視しながら、潮江先輩は自分へと向き直った。
「・・・竹谷」
低い声だった。自分だけにしか聞こえないほどの声に落として、あの人が聞こえないようにして、潮江先輩は続けた。
「あいつに挑むことが何を意味するか、お前に分かるか」
「っ・・・」
「それ相応の覚悟をしろよ」
二つの目がじろりと自分を見据えて、鋭い色を取り戻していく。耳を塞ぐことが出来ないほどに強い音で、彼は低い声で呟いた。
「立花仙蔵に向かってくるものに、俺は、容赦をしない」
ぞっとするような声だった。
体が竦んでいく。からからに乾いた喉から掠れた音が鳴る。
思わず体が自然と一歩下がりそうになるのを押しとどめるだけで必死だった。
それはまさしく殺気だった。

それでも彼は瞬間にそれを引っ込めると、何事もなかったかのようにくるりと後ろを振り向いた。
「ほら行くぞ、仙蔵」
促すように軽く背中を叩かれた彼は、ふんと鼻を鳴らすと高慢な態度でさらりと言い放った。
「言われんでも行くわ」
「・・・良く言うよな、お前」
二人が一緒にくるりと踵を返して、長い廊下を歩いていく。
「あれほど後輩にちょっかいを出すのはやめろと言っただろう」
「私の趣味だ。放っておけ」
「ばかたれ、お前が問題起こすと俺が呼ばれるんだよ」
ぴったりと息を合わせて喧嘩をしながら、彼らはまるで自分のことなどもう忘れているかのようなそぶりだった。
ぽかんと動くこともできずにそれを見送っていると、ふと立花先輩が足を止めた。
切れ長の瞳が迷うことなく真っ直ぐに自分を振り向く。
それを予期していなかった自分は、真正面からその強い眼差しを受けとめてしまった。
「そうだ、竹谷」
彼がさらりとなびいた髪をふわりと払いのけた。
美しい髪が空に舞って、廊下から差し込む光がその鮮やかな眼差しをはっきりと見せていた。
怒られる。そう、瞬間的に思った。
先輩に言葉で歯向かっただけでなく、ましてや拳を振るおうとしたのだ。
それは彼をまったく掠めなかったけれども、自分がした行為は決して許されるものでないことは誰よりも自分自身が一番分かっていた。
覚悟を決めて、ぐっと歯を食いしばる。
けれどもそんな自分に向かって、彼は叱責の言葉をかける代わりに、なぜか不思議とふわりと笑みを浮かべた。
「いいことを教えてやろう」
笑みを向けられるだなんて思ってもいなかった。
けれどもその次に彼が言った言葉はもっと予期していないものだった。

「久々知もお前が好きだぞ」

かけられた言葉の意味が分からなかった。だからただぽかんと、その人を見つめてたまま数度瞬きをすることしか出来なかった。
彼はすうと首を傾いで自分を見つめて、そうして面白そうにくすりと声を上げて笑った。
何を言うべきか逡巡する時間すらも与えてもらえなかった。
その人は自分を置き去りにして、その笑顔だけを残してまた前を向いて潮江先輩とともに歩き出した。
遠ざかっていく彼らの会話が少しだけ、耳に届いた。
「久々知に何したんだよ、お前」
「別に?なんだ、お前も気になるのか」
「気にならねえよ」
「ふふ、焼きもち」
「違うっての」
その言葉とは裏腹に少しだけ口ごもって眉根を顰めた潮江先輩に対して、立花先輩はくすくすと笑いながら、ほら図星、とからかうような口調で言った。
その表情はまるで自分の知っている立花先輩のそれと違っていた。
あの人もこんな風に笑ったりするのだ。完璧で冷静沈着なイメージとはほど遠い。潮江先輩の前の立花先輩は意外なほど豊かで、自然で、人間らしかった。
そうしてようやく気がついた。
潮江先輩が彼を庇い出たときの殺気も、先輩が俺に伝えた言葉も。
急に立花先輩の意図に気がついて、かああと顔が赤くなるのが分かった。
あの人は見越していたのだ。
兵助が俺の前で泣くことも、それを俺に伝えるであろうことも、それを聞いた俺が激高することも。
兵助がひどく照れ屋でなかなか話をしないことも、俺がひどく疎くて死ぬほど不器用なことも、こうでもしないとなかなかそばに寄れない兵助と俺との関係も。
そして、何かがあったら必ず自分のために飛んでくる潮江先輩のことも。
すべてが彼の想定内だったのだ。
そこまで気がついて、ようやく体から緊張が解けていくのが分かった。
赤くなった顔を手で押さえて、ずるずると壁に寄りかかる。
はあ、と大きく溜め息をついたときに、ハチ、と自分を呼ぶ声がした。
声のした方に顔を向けると、そこには廊下の奥から心配そうな顔をして走ってくる兵助がいた。
今ならもう少し素直になれるかもしれない。
少しだけあの人のお節介に感謝して、赤い顔を隠しながら、俺はほんの少し前に進む覚悟を決めた。



ありがた迷惑
5/8/2010



完璧超人仙蔵に向かって行く一般人竹谷が書きたかっただけ!
ちなみにこの文仙は付き合ってます。ちなみに仙蔵が久々知にしたのは壁に押し付けてちゅーです。
仙蔵は別に久々知が好きなわけじゃなくて、後輩にちょっかい出したいだけ。
もっというなら仙蔵はきれいな顔した久々知が顔赤くして必死に抵抗するのと、竹谷が本気で「兵助に触るんじゃねえ!!」って言って自分に牙を剥くのがみたいだけ。そして仙蔵は竹谷の気持ちにも久々知の気持ちにも気がついてるから、これで二人がくっついたら面白いなとか思ってる。
という・・・俺得な裏設定・・・/(^o^)\