※現パロ注意




「振られたんだよ」
小さな机を隔てて向かい合いながら、文次郎は吐き出すようにそう言った。
「好きなやつができたんだって。・・・もう、俺のことをそういう風には見られないって」
押し殺したような声はわずかに震えていた。
膝の上で組んだ両手が何かを堪えるように握られているのが視界の端に映って、掛ける言葉を失ったまま、仙蔵は出されたインスタントコーヒーを口に含んだ。
彼女と上手くいかないと言いはじめたのは一週間前。
不安がりながら待ち合わせ場所に向かったのが五日前だっただろうか。
その後数日間大学に姿を見せなかったから家に押し掛けてみたと思えば、やはりそんなことだったのだ。
押し掛けた部屋はまったく荒れきっていて、床には衣服やら教科書やらが食べかけの弁当やらが散乱している。
彼女がいるときには一日だって片付けをかかさずに綺麗にしていたのを、自分はよく知っている。
あいつ部屋汚いと怒るからさ。そう言って文次郎は文句を言いながら、自分に笑ってみせた。
「俺が悪かったんだ。半年一緒にいて、一度も嫌だと思ったことなかった」
思い詰めたように噛んだ唇が赤く染まる。
知ってるよ。
そう心の中で呟いて、幾度も会ったこいつの彼女を思い出した。
真ん丸なアーモンドのような目が印象的な、小柄で背の低い可愛らしい子だった。
誰にでも愛想が良く、誰にでも優しくできる良い子だと文次郎が言っていた。
会うたびにどれだけ彼女が素晴らしい子なのか、会うたびに聞かせてくれたのは他でもない文次郎だった。

だけど文次郎、お前知ってたか?
あの子はお前と付き合いはじめた頃からずっと他の男がいたんだよ。
お前、遊ばれてたんだよ。
馬鹿みたいにお前が舞い上がってただけなんだよ。

「あんないい子いなかった。俺が、悪かったんだ」
言葉を続けるごとに声が震えはじめて、彼は自分から視線を逸らした。
視線を避けるように下を向いた眼差しがみるみるうちに水分を含んでいく。
それは大粒の涙となって、ぱたた、と畳の上に落ちた。
自分から目を背けるようにして、腕に顔を埋めて、たった一人で膝を抱え込て、彼は泣いていた。

馬鹿だな。
夢中になって舞い上がるからだ。
少し考えれば遊ばれてるなんてこと分かっただろうに。
文次郎、お前は馬鹿だよ。
でも馬鹿みたいに舞い上がってたお前は、何も悪くないよ。
お前が自分を責めることなんて、何一つないよ。

そこまで心の中にしまい込んで、仙蔵は一言だけ言った。
「・・・分かるよ」
文次郎が少しだけ眼差しを上げる。赤くなった顔のままでこちらを睨みつける目から、涙はとめどなく溢れていた。
「何が、分かるんだよ」
「・・・」
「お前は、何かが、叶わなかったことなんて、ないだろ」
やっぱりお前は馬鹿だ。
何も気付いてないんだな。何も分かってないんだな。
嗚咽でしゃくり上げながら自分に噛み付いてくる声に、それでも言い返すことはしなかった。
目を伏せたまま、仙蔵は静かに言った。
「・・・分かるよ。俺も失恋してるから」
何度も何度も繰り返し、同じ人に失恋をしてるから。

最初の失恋は中三のときだった。
それから高一で一度、高二のときには二度失恋をした。
受験で忙しい高三のときには彼女をつくろうとしなかったから、俺は親友と言う地位を確保しながらひどく安堵していた。
このまま誰も好きにならないといいと思っていた。
でも俺の期待は見事に裏切られて、大学に入ってから半年前まで、俺はまた何度も失恋をした。

「・・・すぐに見つかる。新しい彼女なんて」
そうやってお前はまたすぐに立ち上がる。何もなかったかのようにまた誰かと簡単に恋に落ちる。
そうしてまた嬉しそうに、俺に新しい彼女を紹介するんだろう。
「やっぱりお前には、分からないよ」
自分の言葉を気休めだと取ったのだろう。
文次郎は突き放すようにそう言うと、また眼差しを伏せて、その顔を腕に埋めた。

なあ、文次郎。
お前に最初に彼女が出来た日の夜、俺が一人で泣いていたのを知らないだろう。
お前が新しい彼女を嬉しそうに俺に紹介するたびに、俺がどれだけその女を羨ましく思ったかなんて知らないだろう。
俺が今泣いてるお前を見て、心の中で喜んでいることを知らないだろう。
想像もしてないだろう。
お前のそばに寄り添う振りをして、その肩を抱いてやりたいと思ってることも。
希望がないなんて知ってるのに、お前がいつか俺を見てくれることをどこかで望み続けてることも。
俺が何度でも何度でも繰り返し、馬鹿みたいにお前に失恋し続けていることも。

喉の奥から出かかった言葉を言うことはできなかった。
すすり泣く彼からそっと視線を逸らして、仙蔵はコーヒーに口を付けた。
冷めたコーヒーはひどく酸っぱく、苦かった。それでも飲み込まなければ、何かが溢れてしまいそうだった。
苦い液体は喉を伝ってちゃんと胃の中に収まったにも関わらず、なんだかこっちの方が泣きたかった。



恋をしていた
5/26/2010