※caution※



趣味に走ってしまったため、ひばりが女の子です。

また性暴力を含んでいますので、苦手な方お戻りください。

ご了承いただけました方、スクロールでどうぞ。




























Rapunzel, Rapunzel, let down your hair.



季節はとうに過ぎたと言うのに、天井に這わされた薄紅色の花は狂ったように咲き乱れていた。
これが男の幻覚によるもなのか、それともこの世界に実態を持つものなのか、もう雲雀には判断することができない。
この廃墟は幻術使いの箱庭であって、このちいさな空間に存在するものはすべて男の手によって生かされている。
いま雲雀が横たわっている真っ白なソファも、天井近くに覗く割れた窓ガラスも、そこから入る光に照らされてきらきらと舞うちいさな塵のひとつすら。
男が認識しないものは存在せず、厭うものは殺される。
すべてが彼の真っ白な手にゆるされて存在しているのだ。
花弁を映さないように、雲雀はそっと目を閉じて、腕を乗せた。
吐き気が、する。


あの日、床に伏した雲雀に少しの容赦もなく、男は傷一つない手で暴力の限りを尽くした。
彼の暴力の振るい方はいっそ卑劣といって過言ではなかったけれど、じっと男の顔を見据えながら繰り返される痛みを喉の奥で殺してしまうのは雲雀には容易かった。
決して暴力の前には膝をつかないと誓ったその矜持は、雲雀が苦痛の中でそれを手離してしまうまでは決して折れることがないのだから。
その後に繰り返されることになった、泥のような悪夢に比べれば、それはどれだけ容易いことだっただろうと、思う。
内側から侵食される、という事実がどういうことであるのか、雲雀はそのとき初めて知った。
それは正気を保つには余りにも残酷であり、誇りを守り抜くには余りにも過酷だった。
女である自分には。


挿しこまれる熱に、経験のない体は震えていた。
傷つけられた体は痛みを堪えられずに、抉られた内側からは生温かい血が流れ出す。

ゆっくりと太股を伝い落ちる血に、白い肌は悲鳴を上げていた。

下半身の痛みと圧迫感は喉にまで競り上がって呼吸を止める。
息苦しさに喘ぎながらいつ終わるとも知れない悪夢の中で、それでも雲雀は零れそうになる声を必死で押し殺していた。

繰り返されていた律動が止まったのは、唐突だった。

尖鋭な痛みが遠くなって僅かに呼吸が楽になる。

掠れる喉で浅く呼吸を繰り返しながら、雲雀はきつく瞑っていた瞳をおそるおそる解いた。

「ああ」

男はきれいな面差しをそっと伏せて、静かに吐息を漏らした。

雲雀に当てられていた眼差しはゆるゆると落ちて、真っ白な太股を伝う血と、ソファに点々と散った赤い染みをみとめる。

鮮やかな色に目を当てたままで、男はうつくしい声で溜め息のように呟いた。

「初めてだったんですね」

男の白い手が伸ばされて優しく太股の血を拭う。

「痛かったでしょう」
「や、め」

「怖かったでしょう」

ゆっくりと持ち上げられた眼差しが雲雀を見つめる。

僅かに赤く染まった指でそっと雲雀の頬に触れながら、男は静かに告げた。

「君は、女の子ですものね」

一言の元に暴き立てられた欺瞞は、この足で立って生きてゆくための最後の砦だった。

堪えていたものが零れ出す。抉られる痛みが、行き場のない屈辱が、慣れない恐怖が混沌と混ざり合って、どろどろと溶け始める。
溢れ出したそれは涙となって、静かに雲雀の頬を零れ落ちた。

「泣かせてしまいましたか」

流れる涙を止められない雲雀を見て、男はうつくしい面差しに悲愴の色を浮かべた。

頬に添えられた指が目尻に触れる。

その指は祈るように、希うように、そっと零れる涙を拭った。
「ごめんなさい」

綺麗な声で紡がれた声は、綺麗な言葉になって耳の中に落ちていった。


必死に守ってきたものがゆっくりと壊れていく音を、雲雀は、聞いた。




そこまで思い返したとき、きい、とちいさく扉が開く音が聞こえた。
重い革靴がゆっくりと規則的にコンクリートの床を叩く音がこちらへ近づく。
そこにいるのが誰だかなんて分かっている。
目を開けるまでもない、と雲雀は心の中で呟いた。
こつ、と足音が止まってから衣擦れの音がして、男が床に屈みこんだのだと知る。
「きょうや」
男の手がそっと瞳に乗せる腕を取り上げ、無理矢理に目蓋を抉じ開けられる。
薄明るい光の中で、骸はうつくしい微笑を浮かべていた。
「具合はいかがですか」
骸はそっと左手を雲雀の額に乗せると、柳眉をほんの少し歪めた。
「まだ微熱が下がらないようですね」
冷たい手が不快ではないという事実に愕然としながら、雲雀はのろのろと手を持ち上げて骸の手を払い除けた。
「熱なんてどうでもいい、から。早く、桜消してよ」
「なりません」
矜持を削ってなされた懇願は、言い終わるよりも素早く弾かれた。
「だって桜がなかったら、君は僕の前から消えてしまうでしょうに」
穏やかな微笑はなんの表情も映さず、隠れる意図が見えずに雲雀は困惑した。
触れている肌はあたたかいけれど、その裏に蠢く血の色が分からない。
まばたきをゆっくりと繰り返す瞳は美しいけれど、その虹彩に差す色が分からない。
真実から一番遠い場所に立つ男は、得体の知れないものを持っていた。
骸はぱちりと左目を閉じた。
遺された不吉な右目の赤が歪んで、一、とかかれた数字がどこからともなく浮かび上がる。
その途端、天井に這わされた桜の枝が揺らされて、ざわ、と花びらが音を立てた。
ぞわりと肌が粟立つのを感じながら、けれども雲雀は翻りながら落ちてくる無数の花びらをぼんやりと見つめていた。
甘やかな淡い色はどろどろと脳を混濁させ、春めいた僅かな芳香は内側から神経を緩やかに殺してこの体を麻痺させる。
けれども厭うことも忌むことも出来ないのだ。
嫌い、と一言拒絶してしまえばずっと容易に呼吸が出来るのに。
淡い色をした混濁の中で、男は桜のように柔らかく微笑した。
「訊きたいことがあります」
骸の手はおもむろに動いて、雲雀の下腹部にそっと添えられる。
悪意など欠片も含まないような意図のない手に、雲雀は僅かに肩を震わせた。
きょうや、と名前を呼んだ非対称の対の目が、微々たる動きを捕らえるように細められた。
「このところ、月のものが来ていないようですね」
微かに伏せられた睫毛を、揺れた目の色を、観察者の双眸が取り零すはなかった。
口を固く結んだ雲雀に穏やかに微笑みかけたまま、気配すら感じられない動きで、骸は雲雀の下腹部に唐突に力を込めた。
「やめっ!」
思わず口をついて出てきた悲鳴のような言葉を聞いて、内臓を圧迫する手はぴたりと止まった。
雲雀自身を傷つける意思などもともと持たない手は、呆気ないほどにあっさりと離れていく。
骸はあの読めない微笑を湛えたまま、小さく溜め息をついて雲雀に触れていた手にちらりと視線を落とした。
「ああ、やはりそうでしたか。熱が薬で下がらないのも道理ですね」
でも。そう呟きながら、骸は下腹部を押さえる雲雀の両手をゆっくりと取り上げて、侵入を拒む両脚に自分の体を無理矢理に割って入れた。
「ひとつ、分かりません」
「や、だ」
「どうしてですか」
「離して」
「どうして庇うのですか」
「違、」
「どうして殺したいと願う男の子供を、
守ろうとするのですか」


知らない、と雲雀は口の中で呟いた。
何故異変に気がついた瞬間から、この得体の知れない生物を一ヶ月も腹部に宿してきたのか。
ましてやこの身体に巣食う者は、自分と男とを、ぐちゃぐちゃに掻き雑ぜた生物なのだ。
自分の矜持を踏み躙り、女という性を肌に刻み込み、屈辱を与えた忌むべき男の遺伝子と自分の遺伝子とが融け合い、組み立てられ、再構成された遺伝子を受け継いだ生物なのだ。
自分の中に蠢くこの原始的な生物を引き剥がす機会は数え切れないほどあった。
現に、この手でその未完成な身体を壊そうと、幾度も決心した、のに。


ぐ、と掴む腕に力を込めて、骸は雲雀を口付けるほどに近い場所で見つめた。
切れ長の瞳が耐え切れなくなったようにぱちりと瞬きをすると、雲雀の目から透明な雫がぼろぼろと音を立てながら頬を伝っていった。
「あのまま僕が力を込めれば殺してしまえたのに。君は、それを拒んだ」
「分からない、分からない、やめて」
「君はこれからその寄生物に栄養を与え続け、吐き気を堪え、痩せ細り、痛みに苦しみ抜いて産むつもりですか」
「やめ、て」
骸は掴んでいた手を脱力した。
それが雲雀の懇願に動かされたものでないことは、明白だった。
体勢をそのままに、骸はその手を雲雀の背に回して、その呼吸を阻むように、肩を折るように抱き締めた。
「恭弥。君を傷つけるのも、苦しめるのも、僕です。その生物ではない」
無表情に揺らがない骸の声が、初めて色を持ったのを雲雀は聞いた。
抱き締める手は腰を圧迫し、そこに棲むものを確かめるように抉られる。


距離もなく互いの境界線すら判然としない二人の間には、歪んだ意思と奇妙な愛情に包まれて育つ生物が、じっと孵化のときを待っている。