※caution※
ぬるめの性的な描写を含みます。ちょっとよろしくない感じです。
あと骸が変態と言う名の変態です。









視界の端の男はうつくしい微笑を浮かべていた。
こんなに残酷な男がこんなに綺麗な笑みをつくれるのだから、人間とは皮肉なものだと思う。もしかしたらこの男は人間ではないのかもしれないけれど。
床の上に転がされたまま、体を動かすこともままならなかった。
どこが痛むのかも、もはや分からない。ただ暈けはじめた視界の中で、頭上の男を睨み据えることだけで精一杯だった。
射るような視線を柔らかく受け止めて、男は微笑んだ。その表情は、感嘆の色を滲ませているように見えた。

「ねえ、雲雀くん。君に聞きたいことがあるんです」
子供のように小首を傾げながら、男はそっと唇に手を触れながら言った。その無垢な仕草はとても男に似つかわしいと思った。
「君って、誰とも触れ合ったことがないんでしょう?」
ゆっくりと屈み込むと、男はこちらに手を伸ばした。額に貼り付いた髪に長く細い指が触れる。赤黒い血で固まった前髪が、優しい仕草でぱりぱりと剥がされる。
ぞわぞわと這い上がってくる不快感を振り払うように、喉の奥に絡まった血の塊をコンクリートの床に吐き出した。
「・・・何言ってるの」
「原始的な感情に流されないんでしょうね。情動も、衝動も。でもそうしたら君は、快感すらも感じたことがないんですか?」
会話が繋がらない。それはもとより僕たちの間に交わす言葉などないことを示している。本来ならば交わることのなかった歯車は噛み合わないまま、軋轢を生む。
「意味が分からない」
「へえ、じゃあ、雲雀くん」
ゆっくりと顔を近づけて、男はその贋物めいた面差しに笑みを浮かべて、面白そうにくつくつと笑った。
「僕の前で自慰とかしてみせてくださいよ」
すべてはこの男の手の上にある。ゲームでしかないのだ。自分が君臨してきたこの場所は盤でしかなく、自分も彼自身すらもただの手駒でしかない。
けれどもそれなら、このゲームから降りることは出来るはずだ。この吐き気のするような、虫唾の走る男の暇つぶしからは。
男を下から見据えると、同じような笑みをにこりと顔に貼り付けた。男は笑みを浮かべたまま、その表情を浮かべた面差しを変えることもしない。
その能面のようにうつくしい顔に向かって、思い切り唾を吐き捨てた。
「ばぁーか」
吐き捨てたそれは血の色をしていた。


****************


台詞めいた言葉回しも、勿体ぶった戯言も、贋物めいた笑みも、すべてが嫌いだった。
その二つの色彩は自分の何を分かるというのだろう。
自分の何を知っていると言うのだろう。何を見抜いているというのだろう。
いったい、何を、


「何も分かりませんよ。この目は何も見えたりはしません」
「あ、う、・・・っ!」
「でもね、だからこそ思ったんです。君がどんな表情をするのかなあって」
自分を子供のように抱き抱えたまま、男は優しい口調で囁いた。
その無知な答えは実質とまるで噛み合わない。嘘だ。そう言おうとして、けれども糾弾する声は出ない。ただひたすらに、唇から零れるのは無意味な音ばかりだった。
衣服が乱れてひどい状態だった。それなのに暴かれるのは自分だけで、男の衣服は皺の一つすらない。真っ白い大きな手が自分の右手を包み込んで、自分をどこかへと導こうとする。
ぞくりと悪寒が走る。なぜだかこの後起こることが脳裏に見えた。懸命にその手を振り払おうとして、けれどもそれは叶わなかった。
男の手は自分の右手を、乱れた衣服の下の熱へと導いた。
「や、めろっ・・・!」
「静かになさい」
男が優しく囁く。重ねられた男の手によって誘われ、自らの熱を握らされる。自分自身の手は男によって、ゆっくりと律動を始めた。
吐き気がする。吐き気がする。溢れてくるのは、男に対する強い嫌悪、自分に対する羞恥、そして意味の分からない感情だった。嘔気を必死で堪えて、目を逸らして、この醜態を耐えることしか出来なかった。
それなのに体は原始的な感覚に反応する。不意に強い感覚が背中に走って、思わず肩を震わせた。崩れ落ちそうになる体を優しく抱きとめて、男がにこりと微笑んだのが分かった。
すべてを切り捨ててしまいたい。
感覚も、体も、意識も、この男が触れた部分をすべて。
まるでその思考を読み取っているかのように、男は優しく指を動かしつづけた。その長い指の一本一本が性器に絡みついて、自分の指を介して蛇のように上下に動く。
けれどもその思考とはまるで対照的に、その熱はゆっくりと質量を増していった。
脳裏が白くぼんやりと霞んで、体が熱に浮かされたように熱くなる。すべての感覚は収斂されて、意識は震えるような真っ白い快楽を感じることだけに向かっていった。
それでも掠れる喉で、必死に声を絞り出した。もしそうしなかったら、もう立ち上がることが出来なくなることを、どこかで分かっていた。
「死ね・・・っ、しね・・・!ころす、ころしてやる、絶対に、」
快楽が憎悪と表裏一体となり、体の中を逆走する。理性を離れた本能をどうすることもできなかった。
だからただ呪詛のように幾度もそう呟いて、けれども血の塊が塞ぐ喉の奥で音は絡まって、愚かしい喘ぎに変わっていった。
それでも男はきちんとその音を聞き取ったようだった。そっと小さな溜め息を落とすと、満足げな声でちいさく囁いた。
「それでいいんです。こうして一つずつ奪われて、立ち上がれなくなればいい。地に伏せたまま、僕に与えられて生きていけばいい」


追い上げられた熱が体の中で逆流する。情動に流された熱は激流となって、出口を求めて彷徨っている。
閉じたはずの目蓋の奥に光がきらめく。
追い詰められて行き場のなくなった快楽はどこに向かうのだろうか。その熱は奥に巣食っていくばかりではないだろうか。まるで逃れられない檻の中で、自分を縛る鎖となって。
その事実に気が付いて愕然とした。
追い立てる男の手が早くなる。目の前が徐々に白く浸されていく。
意識を失う寸前に、恍惚に沈んだ男の声が耳に届いた。
「ああ、面白くなりそうですね―」
何も見えなくとも、見る必要などなかった。男が与えるものは、それほどまでに自分の中で根を張っているのだ。
それでも、このままではいられなかった。奪われたものは奪い返さなくてはならない。
この脚で再び立ち上がってこの男を打ちのめさなくてはならない。
理性を手放すその一瞬前、遠い遠い未来のことを思った。






ぼくはまだ君を傷つけたい(title/エナメル)
08082009