※岩ちゃん視点です



「ねえねえ、及川くんってさあ、ホモなの?」

4時間目の心地よい睡眠から目覚めてあくびをしながら、俺は昼飯は何を食おうかと考えていた。
今日の定食は何だろうか。カレーも久しぶりに食いたい。でも焼きたてのパンも捨て難い。
そんなことに思いを巡らしていたとき、いきなり入ってきた隣のクラスのやつらが俺の横の席に座る及川を取り囲み、唐突にでかい声でそう聞いたのだ。
思わず横に視線をやった俺と同様に、クラス中の目が一斉に及川の方へ向いた。

及川はその質問を、いつものように笑いとばすこともせず、馬鹿にすることもしなかった。
そのかわり、及川はただただ愚直に固まった。
口は開いているのに言葉は出てこず、何度も瞬きをする目はあちらこちらに泳いでいる。
笑顔が顔に貼り付いたまま、表情を変えることすら忘れているようだった。
ばればれだった。
及川は明らかに動揺していた。

「……え、なんで?」
しばらく間があってから、ようやく返すことができた返事すら、否定ではなかった。
及川の一挙一動に確信を得たかのように、及川を取り囲む奴らが目を合わせてにやつく。
そいつらは堰を切ったように話し始めた。
「なんか及川くんが男と手ぇ繋いで歩いてるの見たって、うちのクラスの奴が言うんだよねえ」
「見間違いかと思ってたけど、あれ、もしかしてそうでもない?」
「相手、烏野の制服着てたらしいけど、ねえ、まじ?」
烏野、という言葉を聞いて、傍目にも分かるくらい及川が息を詰めたから、俺もはっきりと気がついた。

影山だ。
気がついていなかったわけではない。
あるときから及川は放課後の付き合いが悪くなった。
頻繁に携帯をチェックするようになった。
告白してくる女子と、ノリで付き合うのをやめた。
何かあったのかと思ってたけど、まさかの、影山。
お前ら仲悪くなかったっけ。お前影山殴ろうとしたことなかったっけ。
ていうか影山、趣味悪ぃな。
なにがいいんだこんな奴の。
でもそんなことは、今はいい。

黙って立ち上がる俺に気付いて、及川がはっと眼差しを持ち上げた。
「及川くん女子からもすごい人気あったのにね〜」
「ホモで彼氏持ちとかまじびびるわ」
「てか彼氏とかあんの?男同士なのに」
「及川くん突っ込まれる方?突っ込む方なん?」
げらげらと大きな笑い声を上げる奴の後ろから俺は声をかけた。

「いい加減にしろよ。適当なことばっか言ってんじゃねえよ」

一瞬不意を討たれたかのように、そいつらが俺を振り返る。
4人分の視線が俺を睨めて、そのうちの一人が「及川といつも一緒にいる奴じゃん」と誰かに囁いた。
そいつらはお互い顔を見合わせると、より一層ニヤニヤ笑いを深めて、嬉しそうにこちらに向きなおった。
「あれ、なに岩泉くん、及川くんのこと庇うんだ〜」
「あ?」
「俺が彼氏だから的な?及川くんもしかして二股?」
「やべーじゃん、修羅場〜」

ばかでかい笑い声が上がるそいつらの背後で、及川は俺を見ていた。
そいつらが騒ぎ立てる言葉を聞きながら、瞬きもせずに、唇をぎゅっと結んで。
その様子に俺は無性に腹が立った。
お前、何やってんだよ。
いつものへらへらしたムカつく笑顔で、人を小馬鹿にしたような口調で、こんな奴らさっさと追い返せよ。
そんでもって、そんなに不安そうに俺を見てんじゃねえよ。
無性に腹が立って、俺はその中の一人、特に馬鹿みたいに笑ってる奴の襟首を掴んだ。
「ふざけんなよてめぇら」
「あぁ?」
「これ以上続けんならお前からぶっとばすぞ」
相手の顔が不愉快に歪んでいく。
教室中の視線の先が及川からこちらへと変わったときだった。

「何やってるの!やめなさい!」
飛び込んできたのは隣のクラスの教師だった。
青い顔をする教師に向かって、そいつらがへらりとした笑顔を作る。
「どういうことなのあなたたち!」
「あー……違うんですよぉ先生、ちょっとふざけてただけでー」
そいつらがそんなやりとりをしている間に、俺は教師の横をすり抜けた。
及川の腕を掴むと、その目が驚いたように見開かれた。
「おい、行くぞ」
答えも聞かずに歩き出す。
いつの間にかドアの前に他のクラスの見物人がひしめき合っていて、皆興奮したようにこそこそと話をしたり、ニヤニヤ笑い合っていた。
好奇の視線が及川に、そして俺に投げつけられる。
その視線をできるだけ無視して、ドアの前の野次馬を無理矢理に押しのけた。
待ちなさい、と教師の怒号が追ってくるのを振り払って歩き出す。

及川は今、どんな顔をしているんだろうと思った。

*********************************** 及川の腕を引いて早足で歩きながら、校庭の隅にまでやってくる。
教室の喧噪が嘘のように、人影も疎らになったその辺りは騒ぎを知らない連中ばかりなようだった。
刺すような視線が飛んでこないことに安心して、俺はようやく及川の腕を放した。
ようやくため息をつくことができた。
「生きてるか及川」
「……岩ちゃん」
思い詰めた声が聞こえた。
顔を向けると、及川は柄にもないくらい緊張した眼差しで、息を詰めて俺を見つめていた。
「ごめん、岩ちゃんまで誤解されて」
まずこっちの心配をされたことに拍子抜けした。
「いーんだよあんなん。言わせとけば」
「嫌だよ」
軽い調子で返したのに、そう言った及川はあまりに真剣な顔をしていた。
「俺は岩ちゃんが誤解されるのは嫌だよ」
ぎゅうと結ばれた唇が震えている。まるで俺が誤解をされたら、世界が終わってしまうかのような怯え方だった。
眉間にしわを寄せている及川に一歩近づくと、俺は思い切りデコピンを食らわした。

「痛っ!!」
「俺がいいって言ってんだよ、ほっとけ」

及川は額を押さえたまま、一瞬面食らったような顔をした。
目を見開いて、ぽかんと口を開けて、そうして及川は間抜けな声で呟いた。
「……岩ちゃんって意外とカッコいいよね」
「喧嘩売ってんのか」
ふふ、と小さく笑った及川を見て、俺はようやく少し、安心した。


校庭の片隅にあった自販機では紙パックのジュースしか売ってなかった。
仕方なく、古ぼけたパッケージのイチゴ牛乳を二つ買うと、一つを及川に放って投げた。
「あとで100円な」
「あっ請求するんだ」
二人で校庭の隅のコンクリートに座り込んで、俺たちはしばし無言でイチゴ牛乳を飲んでいた。
珍しい小春日和で、ぽかぽかした暖かい日の光が降り注ぐ。

校庭の奥の方では野球部が昼練を始めていた。
イーチ。ニー。イーチ。ニー。
素振りのかけ声を遠くに聞きながら飲む、甘ったるくて嘘くさいイチゴの味は妙にうまかった。

「今頃、岩ちゃんと俺が逃避行したとか噂になってんのかなあ」
「改めて考えると気分沈むわ」
「なにそれ?!」
「……影山の趣味、まじで分かんねえな」

及川はなんだか吹っ切れたような顔をして笑ったから、俺はずっと気になっていたことを聞いてみた。

「お前さ、分かってたろ?」
「なにが?」
「外でデカい男が二人で手ぇ繋いでたら目立つだろ」
「……まあねえ」
「こうなることも覚悟してたんじゃねえの?」

「してたよ」

及川は、意外なくらいあっさりとそう言い切った。
イチゴ牛乳のストローをかじりながら、視線だけは俺にくれずに、どこか遠くを見ている。
「あいつらに囲まれて笑われてるとき、言おうと思ったんだよ。そうだよ、俺は男と付き合ってるよ、それがなに?って。言ってやろう、言ってやろうって心の中では思ってた。でも心臓バクバクして、声が出なくて、顔を上げるのも怖かった」

コロコロと白球が転がってくる。
顔を上げると、野球部員が慌ててこちらに走ってくるのが見えた。
及川はボールを拾い上げると、大げさなポーズを決めてから投げ返した。
バレーボールよりもずいぶん小さな白球が青空を切る。
それはなだらかな弧を描いて、手を挙げた野球部員のグラブの中にぽすんと収まった。
ぺこりと一礼して戻っていく彼を見ながら、及川はぽつりと呟いた。

「一年生かな。ユニフォーム真っ白」
「そうかもな」
「トビオと一緒だ」

影山の名前を口に出すと、及川はふふ、と声に出して笑った。
「こないだトビオが初めて言ったんだよ、手ぇ繋ぎたいって。そりゃ繋いでやらなきゃでしょ〜男としてはさ。それがすっごい人通りの多いとこだったとしても」
今まであんなに嫌がってたのにどうしたんだろうね。思い出すようなふわふわした口調で及川は喋る。
「よりにもよってショッピングモールでさ。ここかよって感じだったけど、手繋いでさ。そしたらトビオ手にすっごい汗かいてんの。びっしょびしょなの。どんだけその一言言うのに緊張したんだよって笑っちゃった」

こいつと影山の間になにがあったのか、俺は知らない。
一体なにをきっかけにして、こいつがあれだけ苛めていた影山を好きになったのか分からない。
そして、影山がこんなに腹黒くて口が悪くてヘラヘラした奴を好きになったのかも分からない。
影山のことを話す及川があまりに嬉しそうだったから、こいつらがこんなことになった顛末なんてどうでもよくなってしまった。

「ありがと岩ちゃん。もう大丈夫だよ」
そう言って、及川は飲みかけのイチゴ牛乳を片手に立ち上がった。
足早に歩き出すその後ろ姿を見ながら、俺はため息をついた。
俺に迷惑かけたくないとか、まだ思ってんのかよ。
幼なじみの目が誤摩化せるとでも思ってるのか。
バレバレなんだよ。
一人で教室に戻ろうとする及川の頭を後ろからぺしっとはたく。
驚いて目を丸くした及川が口を開く前に、俺は右手を出した。
「100円。教室戻ったら返せよ」
「えっほんとにお金取るの?!」
「当たり前だろ!」
なにそれーとぶーたれる及川はいつの間にかいつも通りに笑っていた。
「それにしても、岩ちゃんにももっとびっくりされると思ったんだけどな〜」
「あの状況だから言わなかっただけで、俺だってくっそ驚いたわ」
嘘ばっかり〜と軽口を叩きながら、及川は俺の顔を覗き込んだ。
ニヤニヤした嘘くさい笑み。いつもあいつがする表情だった。
「なんで男なんだとか、なんで影山なんだとか、気持ち悪いとか、言わないの?」
顔を近づけてくる男に顔をしかめながら、俺は飲み終わったイチゴ牛乳のパックをそばのゴミ箱に投げ捨てた。
「言わねーよ、バカ」


お前が好きになった奴が男だろうが女だろうが、お前がちゃんと笑ってられるなら、なんでもいいんだよ。
ということは心の中だけで呟いておいた。



10.21.2013


岩ちゃんと及川くんの関係ってすごくいいなと思います。
付き合ってないのにお互いのことをすごく分かってる感じが好き。
何かあったときには支えてあげるようなそんな幼馴染。